眼前に佇む生物の姿に梛は張り詰めていた緊張や恐怖は消し飛んだ。一見すると犬であるが、よくよく見れば寺社等にある狛犬に酷似している……。確かに異形である事に相違は無いものの、梛の憶測では血肉を喰らう様なバケモノを誇大妄想していただけに、それに比較すれば“安堵”すら覚えた。

「い、犬だと?失礼な奴だな!こう見えても私は“式神”ぞ!」
犬と言わしめられた狛犬はムスッと不満そうに言うと、梛に嫌疑の色を浮かべた。

「……大体……お前、私が見えるのか?低級であれ神であるこの私が……。」

「ん?……みたいだな。俺、霊力者みたいなんだよ。」

「?!」
霊力者の言葉に狛犬はピクリと反応した。反芻する様に何度もブツブツと独り言を言いながら梛の言葉が虚辞かどうか確かめる様に数回一瞥しては思案気に首を傾いだ。

「う〜む…確かに霊力反応がある……いや、失礼しました。」
数瞬の空白が開いたかと思うや、狛犬は態度を改め梛を是認した。

「紅……丸?!」
すると、不意に茜の声が驚きの色味を湛えて空に飛んだ。
“紅丸”……そう呼ばれた狛犬は茜に視線を向けるや否や、パァーッと明るい色を浮かた。

「茜!茜か!!」
茜は紅丸の傍に駆け寄ると、嬉しそうに笑った。その顔は懐古と喜色に染まり、心底からの喜びが溢れていた。

「何?知り合いか?茜。」
全く状況が把握出来ずに、梛は親しげに寄り添いあう茜と紅丸を何度も視線で反復しながら、困惑気に尋ねた。

「はい!彼は私と同じ日に誕生した式神で、名を紅丸(くれないまる)と言います。“天上”ではよく一緒に遊びました。」
紅丸を語る茜の顔はとても輝いており、まるで宝物を紹介するかの様なその優しく情の籠った口振りに、梛は茜にとって紅丸が余程の存在なのだと直感で感じた。そして、何故か哀調の念が沸々と沸き起こった……。

「そ、そうなんだ……つまり、二人は……その、親友なんだ。」
しかし、根拠の無い感情に身を任せる訳にはいかないと、梛は
務めて明るい前向きな見解によって鬱屈した感情を振り払った。

「はい!大親友です!!」
ニコニコと眩しく愛らしい笑顔を浮かべる茜はただ純真で、無垢……。梛は薄い嫉妬を抱いた自分を恥じ、そして自己嫌悪した。茜はただ、大親友を紹介しただけなのに、一方的な感情に流されそうになった自分が、梛は情けなかった………。

「あの?梛様?」

「え?!いや……何でもないよ!!それよりさ、紅丸には主人とか居ないのか?俺が茜の主人になったみたいにさ。」
心の陰りを悟られまいと動揺した梛は咄嗟に質問をした。と、梛の質問に紅丸は少し表情を陰らせた……。

「いや…私は常に一人だ。」
哀調を帯びた声色で紅丸は答えた。不躾な質問を投げ掛けたかと、梛はフォローに当惑した。

「そっか………悪かったな。」

「いえ、別に何とも思っておりませんので……。」
気丈に振舞っているっもののその顔の曇りは依然として消えていない。

「あの、梛様……ちょっと。」
気まずそうに頭を掻く梛の背中を突然にグイと引っ張る者があった……。ベクトルの働く方向に踵を返すと、そこには申し訳なさそうに梛を呼ぶ茜が居た。梛は訝しくも思ったが、取り敢えずは呼ばれるままに茜の近くに寄った。

「あの……紅丸を……その……もし、もし宜しかったら…。」
モジモジと有耶無耶な言葉ばかりを連呼する茜を見て、梛は言わんとする所が分かった。ふうと小さい溜息を吐くと、

「分かった!!じゃあ俺が主人になってやるよ!!」
ニカッと茜と紅丸に笑い掛けると、梛は大きく鷹揚と宣言した。

「え?本当ですか?!」

「私の主人になってくれるのですか?!」
紅丸は信じられない者を見るかのような驚愕を浮かべながら梛を見た。梛は微笑み返すと、コクリと一度だけ頷いた。

「良かったね、紅丸!」

「あ、ああ!」
目に涙を一杯に浮かべながら親友(とも)の為に一心に喜んでいる茜……。梛は益々彼女の純真さに魅かれるものを感じた。

「俺は“出雲 梛”!!今日からお前の主人だ!」

「私は紅丸!今日から梛殿にお世話になります。」

「私は茜!!昨日から梛様にお仕えしています!」

「いや、茜はいいって……。」

……こうして、新たな家族が出雲家に増える事となった。紅丸と言う名の式神…。梛はこれも何かの縁だと思い込む事にした。
そう、茜と自分が出会ったその瞬間から、自分の運命に大きな転機が来たんだ……そう梛は解釈していた……。

「それじゃ、紅丸を姉貴に紹介しなきゃな!」

「そうですね!」

「ん?……梛殿には姉が居るのですか?」

「ああ!しかも俺と同じ霊力者!!」

「なるほど……。」

―出雲家

日は傾き始め、茜色の夕焼けがとても眩しかった。梛一行は自宅前に佇む一人の女性のシルエットに目を留めた。

「お!珍しいな…姉貴が出待ちなんて…。」
滅多に見ない光景だと梛は若干嬉しそうに言った。

「ただいま!いやぁ、疲れた疲れた……。」

「ただ今帰りました。」

「おぅ!お帰り!!どうだった?町案な…??」
梛と茜に駆け寄った悠良の視線に不意に犬らしき生物の姿が留まった。

「な、何だよ?この生物は……。」

「え?!…あ!…そうだ、悠良姉、これはその……。」

「う…そ……。」

「これはその……茜の親友で……。」

「めちゃめちゃ萌えるぅぅーーー!!!!」

「へ?!」

「でかした梛!!こんな可愛い奴拾ってくるなんて!!姉さんは今日ほど梛を誇れる気になった事は無いよー!!」

「そ、そうかよ……。(ま、いいか…気に入ってくれたみたいだし…)。」

「あの、梛殿?」

「うわーー!!喋れんの?益々可愛いーーーー!」

「家族の仲間入りだ。おめでとう紅丸……。」

「は、はぁ………。」

「良かったね、紅丸!」

……こうして紅丸は悠良にも大変気に入られ、晴れて出雲の式神として暮らしていく事となった…。その夜…。

「いやぁ、梛!紅丸は可愛いな!」
夕食を済ませ、団欒の時間を過ごしていた梛に悠良は恭しく擦り寄っていた。

「な、なんだよ?気色悪いなぁ…。」

「なぁ……梛ぃ〜。」
悠良は猫なで声で梛に迫っている……梛は呆れ顔で悠良を一瞥し、絡まる腕を振りほどいた……。悠良が人に甘えを見せる時というのは、何かをねだっている時なのだ……。

「わーったよ!!今晩好きにしていいよ!」
梛は一刻も早くこの地獄から抜け出すために悠良のおねだりに許可を降ろした。すると許可が降りた瞬間、

「マジ?あんがとさん♪」
バッと梛を突き飛ばすように紅丸の居るダイニングに駆けて行った…。

「いててて…ったく、あのバカ女……。」
一人愚痴を零し、梛はふと隣りに茜の気配を感じた。

「茜?」
茜はジッと梛を見つめたまま顔を恍惚に染めていた。

「あの…梛様…今日は、その、ありがとうございます!!」

「いいって、困ってる時はお互い様!それに、茜の親友を無下に扱うなんて出来っこないし……。」

「梛様……。」
二人の間に暫しの特別な空気が生まれた。まるで恋人同士であるかのように二人は暫し見つめ合ったままでいた……と、

「うわぁあぁあぁ!!梛殿〜!茜〜!!助けてくれ〜!!」

「そんなに恥ずかしがるなって!!一緒に風呂に入ろうって言ってるだけだろ!」
紅丸の悲鳴で二人の空気は掻き消された。

「梛様、楽しそうですね♪紅丸!」

「ハ、ハハ…そうね……

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