―朝日が昇り、眩いばかりの光に衒われながら街は次々に目を覚ましていく。家の外から聞こえ舞飛ぶ幼く明るい声達に耳を傾けながら、梛は眼前に正座する灰色の髪が美しい青年にちらと視線を向けた。
「要するに……お前は紅丸なんだな?」
紅丸かと確認された青年は静かに頷き返した。梛はその顔に偽りが無い事を見極めるかのように青年の表情をつぶさに観察した。
「信じてはもらえませぬか?」
青年は梛に真摯な眼差しを向け、諭す様に言葉を投げた。
「ん〜……信じないってワケじゃないけど……。」
濁すように言う梛に青年は更に続けた。
「では、何故!?その様な嫌疑の眼差しを向けるんです?」
しかし今度は諭すというよりも迫るような強い語気を孕んでいた。流石に梛もピクリと反応を示した。苦笑いで返すと恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いや、疑ってるんじゃ無くて……その…紅丸って綺麗だなぁって……。」
「!!」
梛の口から出た言葉に青年は、紅丸は思わず目を見開いて梛を凝視した。
「な、なんですと……?」
「だから、綺麗だなって思ったんだよ。お前の顔。女みたいだなぁって……。」
「そ、そんな下らぬ事を?」
「ああ、そんな下らぬ事だ。」
「…………。」
紅丸は呆れたように溜息を吐いた。―この人は、なんというか…偏見を持たないのか、それとも馬鹿なんだろうか……。―
心の中で嘆息し、朝早くから続いた心労を取り払うかの様に紅丸は正座を解いた。
「はぁ……何と言うか、今日は朝から心労が絶えませんよ。悠良殿とは一悶着あるし、
梛殿にも危うく赤の他人呼ばわりされる所でした。」
「姿が変わるんなら、事前に言っといてくれよ。こっちは紅丸の事、知らない事だらけだからな。」
「確かに……。私の説明不足でしたね。」
首をコキコキと鳴らし、紅丸は眉根を寄せた。一方の梛は紅丸とのやり取りを交わすと、そろそろかと言った様にソファーから身を起こした。
「さてと…。」
「何かあるんですか?梛殿。」
訝しげに尋ねる紅丸に若干の苦笑を見せると、梛は居間から臨む階段の上方を指差した。
「いつもの事だよ。悠良姉ってば寝惚けがヒドイから俺が見とかないと階段から転げ落ちるかもしれないんだ。ま、落ちて一回くらい大人しくなってもらいたいモンだが…。」
皮肉交じりにニヤリと笑ってみせる梛に、紅丸も心中察するに余りあると苦笑いで応えた。
すると、炊事でアタフタとしていた、頭に氷枕をあてがったこの家の氏神、茜がしかめっ面でズカズカと梛に近づいて来た。
「ちょっと梛様、自分の家族の不幸を願っちゃダメですよ。」
プンプンという擬音がピッタリと当てはまるその怒り方に、梛は怒られているのに何だか可笑しかった。
「冗談だって、冗談!悠良姉なら例え寝たまま階段から落ちてもバシッと着地すっから。」
「あ、そうなんですか?だったら、安心ですね。」
「いや……その返しは違うぞ……。」
茜はとても純粋で無垢で、人を疑う事を知らなかった。それが人に仕える氏神の在り方であり、特に茜の場合は“そうでなくてはならない”理由があった。彼女自身も知らない自らに課せられた使命…。この時、出雲家の誰も気付いてはいなかった……。いや、気付かない様に仕向けられていたのだった……。
―天上、元始の間―
「茜……無事に“候補”との生活に順応して行ってる様だな……。」
豪奢な造りの社殿に鮮やかで艶やかな景観…ここは地上とは隔離された別世界…。美しさを損なわない永遠の花園、四季折々の情景は次元を超えて常に空間に存在する。神々がその身を置く“天上界”…。その楽園の中でも一際煌びやかな一角でその神は自分の創り出した神の様子を社殿に栄える大鏡から静観していた。
―氏神の創造主であり、天上界の最高神の一体…元始開闢天神……。彼女は美しく艶やかな顔を綻ばせ、地上で“使命”を担っている一体の氏神、茜に少なからず期待を抱いていた。
「天神様……冠滅愚訓神様からの言伝を預かってまいりました。」
声に天神は大鏡から視線を移した。見るとそこには一人の若々しい青年が膝を着いて頭を垂れていた。薄紫色の長髪を後ろで束ねた端整な顔立ちの青年は、腰に刀を差し所々に甲冑を身に着けている。名を「翠(すい)」と言う軍事を司るその神は、精悍な面持ちで、しかし決して天神に頭を上げる事無く続けた。
「翠…頭を上げて良い。」
「言伝をここで申します。」
天神の心遣いを流すと、翠は言った。
「私の様な者にお心遣いなど要りません。このまま申させていただきます。」
「……申せ…。」
言葉に一切の感情を込めず、しかしどこか寂しげに天神は言った。それに小さな頷きで答え、翠は声音に神妙な色を含めた。
「地上に、“暴走体”が現れたとの事です。愚訓神様は、“候補”と接触させよとおっしゃっています。いかがなさいますか?」
天神の眉根が僅かに動いた。無表情だった顔には明らかな嫌悪が浮かんでいた。
「何故奴が私に指示を下す……。氏神と“候補”の事はこちらに一存している筈だ。式神の指揮が奴の役目というのに……。」
忌々しげに目元を歪め、天神は遥か彼方に視線を移した。
「それで……いかがなさいます?」
しかし翠は天神への気遣いを持たず、事務的に再度返答を仰いだ。天神はその声に我を取り戻した様に普段の表情に戻った。天神と愚訓神の間には確執があった。それも根深い…。彼女は愚訓神を快く思っておらず、同じ最高神でありながらも指示される事を特に嫌っていた。普段は冷静な天神が唯一、感情を剥き出しにして怒りを覚える相手だった。翠はそんな天神を鎮める事が出来る唯一の存在でもある。彼の声色に彼女は不思議と怒りを忘れるのだった。否、天神は翠に特別な感情を抱きつつあったのだ。翠は天神に長く仕え、彼女とは天上界で共に育ってきた。唯一自分を分かってくれ、隣にいてくれた翠に、天神は自然と惹かれていた。しかし、神々の間での階級は絶対的なもの。最高神と従士神では雲泥の差がある。天神が翠を愛する事も当然許されない…。くるりと踵を返し、翠に背を向けたまま天神は感情を込めず告げた。
「奴に指図されるまでもない。当然、接触させる。そこでだ、翠。」
「は。」
「お前には地上に赴いてもらうぞ。“候補”も茜も現状では暴走体に抗えん……お前が暴走体の処分をせよ。」
「仰せの通りに……。」
翠は深く頭を垂れると、静かにその場を後にした。天神は翠の残り香のする社殿の庭に降りると、静かに目を閉じた。
「翠……私は……お前を……。」
胸を抱き、その場に膝を着く天神…掠れる様に言ったその声はどこか震えていた……。

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